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2008/06/09

双子ちゃん

パワー溢れるコウノトリのお陰か?我々夫婦は5人の息子を授かることが出来た。上3人は親心を察してか北海道・東京・大阪の国立大学に進学してくれたが下の二人は何を思ったか?ある日突然「大学に行きたい!」と言い出し私立大学に進学してしまった。その彼らが双子である。幼い頃はどちらが兄貴だと言ってはよく兄弟喧嘩をしていたが離れ離れになってからは「これが双子なんだ~」と感心させられるほど仲が良くなった。2年前四男が沖縄のゴウヤ農家の娘さんと結婚したが、何とその彼女が5人姉妹の長女と言うドラマティックなエキサイティングな出来事があった。その四男に昨年長男が誕生し、早くも?今年の夏には長女が誕生する運びとなったようである。その彼が仕事の関係で沖縄に出張するのに合わせ彼女も里帰りをした。仕事が終わり彼女と息子を残し一足先に帰福した四男の代わりに五男が妊婦の彼女をサポートすべく沖縄に飛び親子に付き添って帰ってきた。五男とて病院勤務でそこそこ忙しそうであったが、良くぞ行ってくれたと嬉しくなった。阿吽の呼吸と言う奴かもしれないが血の繋がった兄弟には他人には解らない何かがあるらしい。小生は血の繋がった兄弟よりも自分の意思で選んだ伴侶のほうが絆は深いものと固く信じているが、その奥方から何時も「冷たい冷たい」とぼやかれるところをみると小生の信念は単なる思い過ごしなのかと思ってしまう、、、のである。
「血は濃い」とよく言われるが、それ故他人同士の絆の深さこそ尊いのではないかと確信を持っている。我社にも出来こそ悪いがそう言った深い絆で結ばれている社員が何組かいる。彼らを見ていると成績の悪さも許してあげたくなるほど嬉しい気持ちになるし、その絆こそ大切にしてゆけば必ず悔いなき人生を送れるよと声援を送りたくなるのである。我が5人の息子たちも兄弟の絆より「家庭の絆」「友人との絆」を大切にして欲しいと願うのであるが、その点が愛妻とは感覚が違うらしく今日もまた「冷たい、、冷たい、、」と冷たい言葉を浴びせられている。

2008/06/03

世渡り下手の生き方上手

「世渡り下手の生き方上手」最近小生の親友から贈られた賛辞?である。一方で以前悪友から「清濁併せ呑んで尚清波を漂わす」人である、、、と言われたことがあるがこれも賛辞として受け取ってきた。人から誉められるほどの人間でないことは自分が一番理解していることであるが、せっかく誉めていただいたのであるから素直に喜ぶことにしている。この単純さこそが唯一誉められる要素かもしれない気がするのであるが? 人が人を判断するのは相手の日頃の所作動作、生き様を右脳で感じ左脳で整理しその人の人物像を把握するものと思ってきた。中には左脳のみで人を評価する輩もいる。即ち「肩書き」最優先でしか人を判断できない人種である。こういう人たちに人間としての魅力を感じないのは単に小生が右脳派人間だからとは言えない気がする。先日弊社の社員研修の一環として若手社員を対象にした集会を開いた。テーマは「夢」であったが討論会の内容は「日々の仕事」に終始した。これはこれで仕事熱心さの表れだと善意に解釈したが最後におまけのように「夢」を語ってもらった。正直がっかりした。夢がなさ過ぎるのである。奇しくも翌日のTV番組で大学生と「中曽根」「不破」「土井」と言った古参議員とのディスカッションをやっていた。「将来の日本に夢を持てるか?」と言う質問に半数以上の学生が「NO」と答えるのを見て前夜の弊社員の顔が浮かんだ。学生ではなく若い社会人を対象にしていれば「YES」の回答のほうが多かったのでは?と思う反面、我社の社員の「夢」を聞く限りそうでもないのかあと寂しい気持ちになった。若い社員によく言う言葉であるが「自分の生き方に夢を持てる人間を目指せ!」と。生き方で自分を主張できる人間を目指せと。凛とし潔い生き方を目指せと。世の中には「反面教師」が多々存在していると言う利点?を最大限に活用して日々自己研鑽をして欲しいと願っているが笛吹けど踊らず、親の心子知らずでなかなか人は育たない。世の中のせい、人のせいにする技術?だけは格段に向上していると言うのが今の日本の姿である。若者よ大志を抱け!!

2008/05/31

有田詣で

有田に通い始めて35年、今年は青木龍山さんが亡くなられたこともあり「天目」の作品を見たくなりまたまた出かけてしまった。年と共に訪れる人の数は間違いなく減少しているがその分ペット同伴の家族が増えたことは昨年同様であった。有田の出店も年々減少している感じがしたが訪れる年齢層は若い人が増えたのは何故であろうか?友人の窯元の話では人はそこそこ来てくれるが「買わない」人が増えたとか、、、ここにも不景気の波が押し寄せているのだと実感した。船乗り時代は乗船中に陶器市が重なっても卸団地に年2~3回は通う程の「オタク」振りであったが最近は少しずつ興味が薄れてきた気がする。若い作家の作品が増えたのと国宝級の作家の新作になかなかお目にかかれないのが足が遠のく原因ではなかろうかと自分勝手に解釈してはいるがやや寂しい気もする。美しい磁気も渋い陶器もどちらも好きであることには違いないが、最近の自分は美しさよりも渋さ、即ち陶器のほうに興味が移っていくような気がするのは歳のせいであろうか? 未来永劫「伝統」が引き継がれていく保証は何処にもない。有田は何をどのように引き継いでいこうとしているのか?その舵取りは誰なのか? 出店が減った分食べ物屋や陶器とは関係のない商材を陳列する店が増えたことを見ても関係者の苦労が理解できたが幸い天候に恵まれただけでも今年は「良し」と思うしかないのでは?と同情にも似た気持ちで有田を後にした。苦悩する陶器の街を感じる「35年目の有田詣」であった。

2008/05/06

格差社会

幼少時代に聞いた言葉「一億総中流」、、戦後の日本を象徴する言葉としておぼろげに理解し、周囲を見渡しナルホドとも思っていた。現在はどうかと言うと連日のように「格差社会」と言う言葉が飛び交うほど大きな社会問題になっている。「努力したものが勝つ、しないものは負ける、当然じゃないですか!」と平然と言った馬鹿な首相が居たが市場原理主義の流れに逆らうどころか「やりっぱなし社会」の基礎を作ってしまった感さえある。民主主義国家、自由主義国家である以上物理的格差はある程度やむを得ないとして、小生が心配するのは「情緒的格差」の広がりである。嘗ては、自然と親しむ姿勢ひとつとっても庶民には庶民なりのスタイルがあり質素な中にも情緒を楽しむ心の余裕があった様に思う。社会環境・家庭環境が原因で起こる殺伐とした事件が後を絶たないのは近年の教育制度にその主因があるのではないか? 人を信じることが出来ない寂しい人が居るが、彼らは自分自身を信じられないが故に「自分を保つ」ことで精一杯なのであろう。一生自分可愛さから「俺が、、、俺が、、、」と言い続け疲れ果てるのが関の山、このような哀れな人間にならないようにと「ゆとり教育」なるものが発足したと解釈しているが?果たしてあっという間の方向転換!!である。 
我々の学生時代は当に「詰め込み教育」の全盛時代であったが、情緒豊かな人間や血気盛んな若者がたくさん居たと確信する。人の心に情緒が宿るも失われるも全ては社会環境・家庭環境に左右されるのではないか?弱い人間ほど「人のせい」にするのは得意であるが、昨今のテレビでの謝罪会見を見ているとエッ?と思わずには居られないような低レベルの責任者風?の人物のコメントを聞くことがある。テレビ番組を見ても「考えさせられる」ドラマ、番組のなんと少ないことか!これに変わってお笑い番組は目白押し! これこそ「情緒的格差」の表れと思うのだが?
これほどはっきりした四季があり、その四季を楽しむ文化があり、世界最古の小説が生まれた文化、、世界に類を見ない「情緒」をもった国民・国である。
せめて「情緒」だけでも格差のない、人それぞれの環境の中で自然に親しみ、人の心に接する豊かさだけは失わずに済む様な国・社会環境・家庭環境を守ってゆきたいものである。

2008/04/03

環境破壊

3月にツバメ? 桜の花がやっと開花したこの頃、一分か二分咲きの桜並木の間をツバメが飛ぶ姿を見て驚いた。幼い頃の記憶では梅雨の前に南の国から飛来し、巣を造り、雛を孵し、梅雨のあける頃再び南の国へと帰っていく、、、、ここ数年その記憶が打ち消されそうな位自然現象の異常が季節ごとに起こっている気がしてならない。ツバメが巣を造り、雛を孵し、餌を待つ雛にせっせと餌を与える姿が好きで好きで仕方がない小生としては何とも心配な現象である。地球の平均気温が6度上昇すると人類は滅亡するとのデータもあるが現在の地球はまさにその方向へ着実に進んでいる。少なく見積もって50年に1度上昇するとしても300年後には人類はほとんど存在していないことになる。太陽の寿命が後35億年とされているが太陽の消滅=太陽系の消滅=地球の消滅なのであるが、そのときを待たずとも人間の愚かさから地球は水の惑星から死の惑星へとなることは明白である。そういった観点からいくと今年夏の「北京オリンピック」は人類が「環境破壊」の現実を認識するには好都合の開催地?と言う気がする。発展途上の国が先進国から環境破壊を理由に開発を断念するよう迫られても誰も聞き入れる筈もないことで、今後も延々と温暖化は進むであろう(緩やかになることはあっても気温の上昇を止めることは限りなくゼロに近いと確信する)
ツバメの習性(姿)が何故好きなのか考えたことがある。結論から言えば「未来」「夢」を感じるからだろうと。。幼稚園児が登下校に黄色の帽子を被り列を作って歩く姿に微笑ましさを感じるのも彼らの将来、姿に夢を見ることが出来るからだと自分勝手な解釈をしている。
今の子供たちのためにも少しでも長く「水の惑星」が長生きできる工夫を世界中の大人たちが真剣に考えて欲しいものである。

2008/04/02

潔さ(いさぎよさ)

石原都知事の肝いりで誕生した「新東京銀行」が開業3年目で途轍もない赤字を計上し世間の目に晒されている。素人の私でさえ「慈善事業」と思ったくらいで、金融関係者なら誰しも「ありえない事業」であったのは明白である。そもそも彼は都政の舵取り役即ちリーダーとして不適格者と確信していたがそれがこのような形となって現実化した。まさか以前の総理のような「敵前逃亡」はしないであろうが気になるのは責任問題に対する彼の一連のコメントである。「発案はしたが運営はしていない、、、」これがリーダーの言葉?と唖然とする。郵政民営化を強引に推進した首相の無責任さにどこか共通する部分があるように思うのだが。そもそも「指揮官」と言うのは大所高所より「もの」を見る器量が必要であるがその原点にあるのは「庶民目線」ではなかろうか?
これまでの彼の傲慢とも思える言動に「庶民目線」を感じることは一度もなかった。中小企業の救済と言う企業理念を維持する限り再生など到底ありえない。企業(銀行)の再生・存続を優先するのであれば創業理念は消える(消さざるを得ない)。後者を選択すれば「何のための血税投入だったのか?」になり、前者を選択すれば赤字は増え続けるばかりである。ここは自らの非を認め英断を下す以外選択肢はないと思うのだが、、、。我が町でも似たようなことがあった。サッカーブームに乗って?ビッグアイと言う採算度外視の建物を前知事の時代に建てたが案の定赤字の垂れ流し状態が続いている。現在の知事の県政に対する姿勢はまさに「庶民・県民目線」が感じられ高く評価しているが出来ることなら「英断」をもってして血税の流出を止めて欲しかった。前経済連の会長が新東京銀行の件で「俺もトヨタも関係ない!俺は知らんよ!」と言いながら車に乗り込むシーンをTVで見たがこれが嘗て経団連の会長を務めた人?と情けなかった。政界・財界ともに「人物」が居ないのだなあ~とつくづく思った。武士道にも通じる「潔さ(いさぎよさ)」を持ち合わせた「人物」はもう現れないのであろうか?

2008/03/12

イージス艦の不祥事

「海の散歩道」に今回の事件を掲載するにはあまりにもお粗末で「多事争論」に「元船乗り」としての見解?を書くことにした。小生もアラスカ、ベーリング海からの帰路ではこのような場面に必ず遭遇したものである。犬吠埼から野島崎の沖を廻り東京湾に入る船舶は必ず今回の様な場面に直面するのでブリッジ当直をした経験のある方は事故の全容が明かされるまでもなく「原因」が何であるか即座に判断できたのではなかろうか。防衛省・自衛隊の怠慢を云々する以前に「船員」失格である。当直仕官も艦内の規律も海上自衛隊という組織も総てが失格!である。通常の航海では20~12マイルレンジで視認とは別にレーダーによる見張りを常時行いながら航行する。船舶の輻輳する海域に入るとレーダーワッチは重要な作業となる。6マイル・3マイルレンジと探査距離を縮めながら相手船舶の動向を目とレーダーの両方で確認しながら注意深く航行をし早め早めに避航動作をとりながら航行するのが常識である。今回の様な場合、まず船団の大まかな動きを推測し早めに避航(進路変更をし船団との接近距離を確保する)するのが一番確実であった。漁船は進路を度々変えて来るので予測がつけ難く止む無く危険と判断した場合は「減速」をする。それでも危険状態を回避できないときはサーチライトを相手ブリッジに向け照射するかVHF16チャンネルで注意を喚起する。それでも相手の動作が読めないときには自船の行脚を完全に止める(スピードをゼロにする為全速後進をかける)。これらの基本動作の総てがイージス艦「あたご」では遅かったのである。艦長が仮眠中であった、、等と問題にされているがこのような海域でいちいち艦長が昇橋するなど考えられないことである。当直仕官の判断で十分安全な航海ができるのである。小生の船長時代は「浦賀水道」に入る30分前に昇橋していたが当直仕官に任せておけば十分でありパイロットチェアに座り余程のことがない限り自ら指示を出すことはなかった。ただし浦賀水道航路や中の瀬航路などの「航路内」で遊漁船が縦横無尽に商売?をしているのには閉口した。探照灯を照射しても汽笛を鳴らしてもぎりぎりまで動こうとしない!航路内に良いポイントがあるのか、釣り客へのサービス精神からか、こちらが全速後進でもしないとヤバイと言う瞬間まで動かないのである。大した根性モンであるがこちらも「ぶつかっても知らんぞ~~」と言う位の気持ちがないととても前進出来ないのである。話が横道にそれてしまったが「あたご」の当直の人数を始めて知って唖然とした。トン数から言えば小生の船も「あたご」と同じくらいだったが当直は仕官1名、操舵手1名、セーラー1名だったのに対し何と両舷に二人、後方に二人、さらには指揮所でもレーダーワッチが居たと聞いて自衛艦の仕組みは一体どうなっているのだ?と空恐ろしい気がした。今回の事件で確信したことは今の防衛省の体質をもってして「日本国」の国防は100%不可能と言うことである。総合指揮所の火災、機密漏えい、海難事故、遡って名前さえ忘れてしまった防衛事務次官の逮捕、、、、まともな政治家が出現しないかぎり日本の堕落をとめることは出来ない。

2008/03/03

冤罪

連日のように官僚、所謂「お役人」のあまりにお粗末な実態がメディアを通じて世間の目に晒されている。社会保険庁・防衛庁・国交省、、、よくもまあこんなことをしていたもんだと寒心させられるが地方とて例外ではない。先日車を走らせていたらパトカーに止められた。「携帯電話をしていたでしょう!」と。こちらとしては全く身に覚えのないことなので日ごろの鬱憤?をぶちまけることにした。大分県にもこんな性質の悪い警察官が居るのかと思うと腹がたった。車に乗るときはイヤホンをセットしているし、この日もこの時刻の30分ほど前に着信があっただけなのに何度説明しても「していた、、」と言い張る。警察の冤罪が時折話題になるが「なるほど、こんな奴が罪もない人間を犯罪者(違反者)にするのか!」と「冤罪」もどきの言いがかりをする警察官をみて本気でそう思った。同乗の若い新卒風の警察官にも口車を合わせるように強制するのであろうが若い彼はちょっと離れた所に直立不動で立っていた。彼の姿があまりに純情で、こんな性質の悪い警官と一緒に勤務していたら、、、とそちらのほうが気になった。理不尽な「取締りのための取り締まり」が何と多いことか!善良な中小企業の税務調査で税務署員が「手柄」を持って帰らないと上司に叱られるからとアラ捜しをするのに酷似している。飲み屋や雀荘で周囲の客の迷惑になる様な騒ぎ方をする集団に注意をしてくれと経営者に言うと「警察ですから、、、」と言われたことが何度かあった。「先生」と呼ばれる集団も同じことをよくやっているが、、、。所謂「聖職」と言われる職業に従事する彼らのモラルの低さを少しは当事者(管理職・リーダー達)も自覚してもらいたいものである。極めて稀にではあるが温かみのある立派な警察官と出会うと嬉しくなる。横柄な口の聴き方をする警察官に「名を名乗れ!」と言ったが無視をされた。警察署に抗議に行こうかとも思ったが似たような輩が居ると思うと面倒くさくてやめることにした。世間が呆れ返るお役人のテイタラクを改革するには特権意識・傲慢・勘違い、、、と言った古い体質にドップリ浸かった組織そのものを変えるだけの「リーダー」が必要である。「そんなことしてる暇があったら他にすることがたくさんあるでしょう?」と言いたくなるような取締り・仕事をしている「役所」を変えるだけのリーダーは永遠に出現しないのであろうか? 嘆かわしい限りである。。。

2008/01/31

スポーツ万歳

マラソンのテレビ中継を見ながら何時も思うことがある。2時間一寸の間、ひたすらランナーを追いかけるだけの番組(映像)なのに飽きることなくゴールまで見てしまうのは何故なんだろうと。それが昨日の大阪国際を観戦して少し理解できたような気がした。ランナーはもとより監督・コーチ、解説者、ゲスト、、、彼らの表情・コメントから面白いように人間模様が読み取れる妙!これがマラソンのテレビ中継のおもしろさだと気づいた。レース半ばに登場したQちゃんの元監督(コイデ)がトップをひた走る福士を絶賛していた。自分としては彼にもともとあまり良い印象を持っていなかったこともあり30キロ過ぎでもこの走りが出来ると確信してのコメントなの?と冷ややかに聞いていたが結果を見てやはりこの人は「怪しい、、、」と納得した。福士の監督さんもレース後半の教え子の惨めな姿を見ながら悔やみきれないほどの自己嫌悪に落ち込んでいるのだろうと想いながら彼の表情を見ていた。中継車からコメントしていた千葉や有森の言葉には経験者らしい生の姿(失速するのでは?と言ったニュアンスの)が伝えられていたがメイン解説者やアナウンサーは殊更「福士・福士」でレースの本当の意味での実況をないがしろにしていた感があり歯がゆい思いさえした。女子ゴルフで不動裕理がトップを独走しているにもかかわらず桃子・さくら、、、をカメラも話題も主役そっちのけで追い続けるのと似ているのでは?と 真にスポーツを愛するわが輩としては断じて許せない気がしたのであるが。お陰で日本人一位でゴールした彼女の名前を未だに思い出せないのは当に低レベルのテレビの所為である、、、と言うことにした。
さて、夕方の大相撲!優勝した白鵬をみて子供の頃に見た大鵬・柏戸などの横綱としての品格を漂わせる大横綱になる予感を覚えた。日本人以上に日本人らしい、国技としての力士の風格が彼にには備わりつつあるように感じた。対する朝青龍、気力・技量は休場前に戻ったと言う解説者も居たが後一歩の詰めの甘さは彼が峠を越したと感じたのは小生だけだろうか?言うまでもなく「品格」に至っては一向に備わった形跡がない。

2008/01/29

プロとは?

いよいよ北京五輪の年! 国民のモラル・インフラ・環境は超後進国でありながら広大な領土と経済力・核兵器を持つ軍事力は超先進国の中国、果たしてどんなオリンピックになるのか? そんなこととは関係なく各分野で五輪の出場権をかけた予選が繰り広げられている。そんな中失望したのが野球のアジア予選! 星野率いる日本チームの戦い振りを見てあれは当に高校野球ではないかと失望した。試合後の彼のコメントがそれを象徴していた。「日の丸を背負うプレッシャーに負けそうになり何度か逃げ出したくなった、、、」闘将とかなんとかメディアに煽てられた指揮官のコメントがこの始末である。高給をとり、観客から入場料をとる「プロ」ならもっと「プロ」らしく日頃から命をかけて闘ったらどうか!と言いたくなったのは小生だけであろうか?と思いながらも全試合を見てしまったが、、、。野球に限らずメディアのレベルの低さがスポーツ競技を駄目にしてしまっている気がして成らない。箱根駅伝は勿論アマチュアの競技であるがこれとて近年はメディアの過剰なまでの演出に関係者が本来の姿を見失っているように映る。ファンに夢を与えるのはプロスポーツ選手の義務であることを彼らは今一度考えて欲しいものである。

2008/01/07

感謝祭

先日我が社の重要なイベントの一つである「東洋サッシ祭」を開催した。地域の皆さんへの感謝と我が社を認知してもらうため昨年より始めた企画であり今年は2回目であった。500人近い方々が地元からは勿論、遠路お出で頂き大いに賑わった。昨年は初めての試みにも拘わらず若い社員を実行委員長にして企画立案から担当させたが今年もその彼が実行委員長を務めた。昨年同様、小生は彼の黒子としてイベント会場をチェックしながら彼の動きに注目していた。常々幹部諸君にはリーダーシップの何たるかを機会ある毎に話をしてきたが今年の彼は昨年とはひと味違う動きをしていた。小事にとらわれず全体を見渡せる動き、即ちリーダーとして高所より采配を振るう事を僅かながら身につけていた様に感じ嬉しかった。勿論社員全員が自分の持ち場で精一杯頑張ってくれての成果である。大所高所より空気(現状)を読み、迅速に対応するのはリーダーの資質そのものである。30代、40代の若い人々がスピードは遅くとも着実に成長している姿を感じられることは、この上ない喜びである。周囲にはKYさんがたくさん居る中で若い社員のこうした成長振りは我が社の財産である。ところで昨年同様人気ベスト3は「網戸の張り替え」「フリーマーケット」「抽選会に続く餅撒き」であったが特に「餅撒き」は異常なほどの盛り上がりようで小生には一寸理解できない光景であったが、我が社の健在振りを祝ってくれているのだと自分勝手に理解して感謝の心をお出で頂いた皆さんに振りまいた。帰り際「頑張って下さい!」と声を掛けてくる来場者の言葉が身にしみて嬉しかった。

メディアに求めるもの

年末年始のテレビ番組を見てウンザリした。何と「お笑い」番組の多いことか!「お笑い」は日本古来の伝統芸能でありそれ自体結構なことであるが、もう少し中身のある番組は出来ないものか?天下のNHKでも中にはつまらない番組もあるが朝の連続テレビ小説、大河ドラマ、世界遺産など是非見て欲しい番組があるのが救いである。年末に三夜連続で放映した「ハゲタカ」を再度観賞したが良くできた作品だと感心した。この様な作品は視聴率、スポンサーに関係なく作製出来るNHKにしか出来ないのであろうか?あのつまらない「紅白歌合戦」が未だに高視聴率を維持しているのは裏を返せば如何に民放のレベルが低いかと言うことではないか?近い将来スポンサーも視聴率よりも中身を重視するような企業理念をもった企業が出てくるのではないかと期待してはいるが、、、。そもそも「お笑い」が大衆受けするのは「考える」と言うことから疎くなりつつある現代日本人を象徴しているように思えるのであるが、その傾向に拍車をかけたのはあの小泉劇場ではなかったか?政治も経済も今当に日本国民が試される時代、それが2008年との想いで国民一人一人が真剣に今の日本、これからの日本を考えて欲しいものである。