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2008/04/02

潔さ(いさぎよさ)

石原都知事の肝いりで誕生した「新東京銀行」が開業3年目で途轍もない赤字を計上し世間の目に晒されている。素人の私でさえ「慈善事業」と思ったくらいで、金融関係者なら誰しも「ありえない事業」であったのは明白である。そもそも彼は都政の舵取り役即ちリーダーとして不適格者と確信していたがそれがこのような形となって現実化した。まさか以前の総理のような「敵前逃亡」はしないであろうが気になるのは責任問題に対する彼の一連のコメントである。「発案はしたが運営はしていない、、、」これがリーダーの言葉?と唖然とする。郵政民営化を強引に推進した首相の無責任さにどこか共通する部分があるように思うのだが。そもそも「指揮官」と言うのは大所高所より「もの」を見る器量が必要であるがその原点にあるのは「庶民目線」ではなかろうか?
これまでの彼の傲慢とも思える言動に「庶民目線」を感じることは一度もなかった。中小企業の救済と言う企業理念を維持する限り再生など到底ありえない。企業(銀行)の再生・存続を優先するのであれば創業理念は消える(消さざるを得ない)。後者を選択すれば「何のための血税投入だったのか?」になり、前者を選択すれば赤字は増え続けるばかりである。ここは自らの非を認め英断を下す以外選択肢はないと思うのだが、、、。我が町でも似たようなことがあった。サッカーブームに乗って?ビッグアイと言う採算度外視の建物を前知事の時代に建てたが案の定赤字の垂れ流し状態が続いている。現在の知事の県政に対する姿勢はまさに「庶民・県民目線」が感じられ高く評価しているが出来ることなら「英断」をもってして血税の流出を止めて欲しかった。前経済連の会長が新東京銀行の件で「俺もトヨタも関係ない!俺は知らんよ!」と言いながら車に乗り込むシーンをTVで見たがこれが嘗て経団連の会長を務めた人?と情けなかった。政界・財界ともに「人物」が居ないのだなあ~とつくづく思った。武士道にも通じる「潔さ(いさぎよさ)」を持ち合わせた「人物」はもう現れないのであろうか?