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2007/06/11

感性

行き付けのラウンジに通称「カオリン」と言うバイトの可愛いお嬢さんが居る。20代後半のその彼女が店を辞め自分でフランス料理店を開店するという。会社勤めとバイトでせっせとお金を貯めては海外旅行をしていたという彼女にキラリと光る感性を感じていたが、なるほどなあと感心した。若さ・感性・行動力が備わった人には「何かをやれる」エネルギーを感じるものである。それに引き替え、、、、最近の男子には若者特有の「若さ」「清々しさ」「潔さ」と言った魅力を感じさせてくれる人材が非常に少なく感じる。弊社の社員募集に応募してくる若者と面接をしても「感じさせる」ものが全くない人が多い。先日我が社の「幹部社員研修」で「組織とリーダーシップ」と言う演題で約一時間半の雑話をした。団塊の世代以降の若い人達が組織を構築し人を引っ張っていく為のヒントになればとの想いから予定時間をオーバーして喋ってしまった。40代、50代の人達に「器量」を求めても可愛そうな気がするほど地に足の付いた生き方をしている若者は少ない。それを諭そうとお説教をしても先ず期待した成果はあがらない。自分を知らなさすぎるからだ。「感性」は幼少時代の生活環境が7~8割影響していると言うのが小生の持論である。残り2~3割は「努力」で身に付くわけであり、この努力こそが大切なのだと彼らに訴えた。昔ニューヨークに入港したとき町中を散策した時のこと、前方から日本人らしい留学生風の娘さんがニューヨーカー気取り風に颯爽と歩いてきた。すれ違いざまに乗組員の同僚に「日本人かなあ?」と声をかけたのであるが、彼女が通り過ぎようとした瞬間「日本人です!」と意外にも応えてきた。その時の凛とした響きが凄く心地よく清々しかったのを記憶している。あの彼女も素晴らしい人生を歩んできたに違いない。

2007/06/08

特攻隊

先日「俺は君のためにだけ死ににいく」と言う映画を鑑賞した。「男達の大和」に比べれば若干良かったとは思うがどうもこの手の日本映画は頂けない。時代考証もピンとこない。車や建物、周囲の景観と服装がマッチしていないのである。当時の服装に違いないのであるが衣服が綺麗すぎて臨場感がない。今日、時代劇を演じきれる役者が少なくなったのと同じように戦時中の若者の気高さを演じられる若い役者も又居ないのであろう。それよりも気になったのが原作(脚本)者のあの傲慢さが表に出過ぎるのである。やはりあの都知事は危険人物なのかなと思ってしまうシーンが何カ所かあった。主演女優?の岸恵子の演技も物足りなかった。到底トメさんを演じきれていなかった気がする。総指揮を執った元作家にしてはタイトルも頂けなかった。がしかし手に持ったハンカチはかなりの水分を含んでいたことは確かである。あの時代の若者の気高さは実に清々しいし、日本人の誇りさえを感じさせてくれる。それにしても日本・日本人とは実に不可解?な民族であると改めて思った。人類に類の無いほどの「文化」を持ちながら、あれほど短期間にアメリカナイズされてしまった日本とは?、、、ついつい考えてしまう。現代の若者には戦前の日本、戦中の日本の若者の生き様をどんな形にせよ学ぶ機会を持って欲しいと切望する。出来うることなら教育現場ではなく家庭環境のなかでそれが出来ればこれからの日本も捨てたものではないのであるが、、、、。

2007/06/04

有田陶器市

今年も又「有田陶器市」に出向いた。家内の影響もあって「有田」に通い始めて35年になる。磁器の美しさに魅せられて期間中2度通うこともあったが最近では磁器から陶器へと感心が移ったせいか「目の保養」的有田詣で?になっていた。そんな中今年は初日と最終日の2度有田を訪れてしまった。35年間で、もう買うものが無い!と言うほど磁器を買ったが毎年新作を見るのが楽しみなのと今右衛門・柿右衛門・青木龍山・井上万治など有名な磁器の匠の作品を眺めるのが唯一の楽しみで朝早くから出かけてきた。友人の窯元の話では年々売上は減少しているとのことであったが、毎年「今年は昨年より人手が少ないな、、」が我々の口癖になる程出かける人も減少してきた感がある。高級な器は売れず一個何百円かの日常使用する器が売れているとか、、経済格差がこんな所にも表れてきたのかとゾッとした。有田を訪れる人も様変わりをしてきた。バブルのころは「有田通?」と言って帽子を被りリュックを背負い、手には軍手が定番であった。ここ1~2年最も変わったのはペット連れの人が急激に増えた事である。とにかく若い人も年輩者もやたらペット同伴である。家族同様にペットと暮らしている人達であろうが、ゆっくり器を鑑賞できるのだろうかと要らぬ心配をしてしまう。時代と共にデザインも形も少しずつ変化しているが食に直結する器に興味を持ち目を肥やす若い人達が少しでも増えていくことを願いつつ有田を後にした。