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2010/10/29

講演・講話・雑話

「大勢の人の前で話をする」ことに長けた人、例えば「コンサルタント」と言われるような人たちはある種「話のテクニック」を身につけている。時折大声を出したり、笑いを誘ったりしながら聴衆を飽きさせないような工夫をするのである。それでも上手・下手ははっきりしていて参加者が講演に聞き入る時もあればまったく興味を示さないこともある。話す側・聞く側にその気(心)があるかないかで意義ある時間か無駄な時間になるかが決まるものである。
小生が大勢の人の前で話をしたことが過去2回ある。最初は二十年以上前になるが、母校の大学に呼ばれ学生を前に話をしたときである。題目は「トロール事業の現状と展望」であったと思う。一等航海士をしていた頃でもあり世界の大陸棚漁場はほぼ経験していたこともあり気軽な気持ちで母校を訪ねた。学生さんの待つ教室に入って驚いたのは三分の一ほどが女子学生であったことである。自分達の時代は一学年に一人いるかいないかであった女子が卒業後十年足らずでこんなに様変わりしたのかと唖然とした。話を進めていくうちに彼らの行く末が心配になりネガティブな話をした記憶がある。最後の締めくくりの言葉は「よほど性根を入れて社会に飛び込んでいかないと務まりませんよ!」であった。
二度目は陸の河童になって間もない頃、このときは千人以上の聴衆がいたが、会場が階段状の客席になっていて壇上に立つと圧倒されるようなところであった。市会議員選挙の総決起集会(投票の前日)でいきなり挨拶を頼まれた。陸に上がって半年の間に知り合った市議さん故、話のネタもなく選挙とは無縁の環境でもあったし「話すことはなにもないなあ?」とボヤ?と来賓の話を聞いているうちに自分の番になった。自分の素姓を説明し、「それ故ここでいろいろ話をする資格もありません、先生とは半年足らずの付き合いでしかありませんが一つだけ自信を持って言えることは彼は決して悪いことをする人間ではありません!善人です!多くの人間と接してきた小生が唯一皆さんに伝えることができるのはこれだけです!」と。大爆笑と大きな拍手が同時に湧き起こった。隣の席にいた候補者先生の紅潮した嬉しそうな顔を見たとき「これでよかったのかも?」と責任を果たしたのだという無責任な判断をした思い出がある。
そして今回、三度目になる「講話」をすることになった。ある業界の勉強会に招かれて商工会議所の会議室で一時間話をしたのであるが、異業種の皆さんと知り合いになれる楽しみだけで講師を引き受けた。偉そうなテーマであったが題目はそっちのけで尖閣諸島問題に熱が入り大半はその手の話で終始してしまった。参加者には申し訳ないことをしたと反省しきりであるが、これを機にまた新しい友人ができる気配を感じ喜んでいる次第である。