ページ

2010/07/14

仰げば尊し我が師の恩

昭和41年、長崎大学に入学して1年目の春休み、カッターの合宿所に小生の7期先輩に当たるN先輩が真っ黒に日焼けした精悍な顔立ちで我々の前に現れた。母校を卒業後、当時花形だったマグロ船に乗船していたのを学校に呼ばれ教壇に立つことになったからである。その日こそ小生が生涯の師と仰ぐ恩師との最初の出会いであった。6年間の学生生活、21年間の船乗り時代、陸の河童になって19年、都合46年間の小生の人生はまさに恩師の教えに支えられての生き様と言ってよい。先生から多くのことを学んだが決して「人を諭す」「人に教える」と言った事とは無縁の先生であった。「亀さん、こうじゃなかとねえ?」「おいはこう思うばってん、どがんとね?」と言うような調子で何時も同じように話しかけてくれた。研究論文や博士号の勉強で忙しいにも関わらず毎晩のように先生宅に押し掛ける小生を嫌な顔一つせず相手をしてくれる先生でもあった。5年前大学を退官された時は先生にお世話になった教え子3人で退官祝いを!と長崎に集まってささやかな「ご苦労様会」を催した。大いに昔話に花が咲いたが二次会で「仰げば尊し我が師の恩、、、」を弟子3人で合唱した時はついつい涙がこぼれてしまった。
そして今年、先生が目出度く古希をむかえたの機会に弟子3人で話し合い雲仙に集まりささやかなお祝いをしようということになった。4人が顔をそろえるのは久しぶりのことであったが皆さん老いて盛ん?良い人生を歩んでいるなあと何とも心地よい時を過ごさせてもらった。雲仙地獄の硫黄の匂い、露天風呂から眺める雲仙の山々、時間のたつのも忘れ、語り、痛飲したが昔とちっとも変らない先生の姿と私より遥かに優秀な後輩2人と時間を共有できたことは嬉しい限りであった。先生から多くのことを学んだが小生にとって一番の宝は「人との接し方」「生きるとは何か」すなわち「物の真理を見極めることの意義」を教わったことだと確信している。船乗り時代、陸の河童時代、多くの人々と関わってきたが職場の同僚や友人知人がこんな小生を心から大切に付き合ってもらえるのは正に先生の教えが多少なりとも身に付いている証拠だと少しだけ自惚れさせてもらっている。人に恵まれた人生ほど楽しいことはない。若い人たちから小生の心の芯にあるものは何か?と問われた時、迷わず「人との繋がり」と答えてきたが、このことをこれから活躍する若い人たちが少しでも気にかけてくれることを願ってやまない。「物事の真理を見詰めよ」「全ては自分自身の中にある」ということを!