ページ

2010/12/14

坂の上の雲

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が映像化され昨年末より3年がかりで放映されている。「如何にも小さな国が開花期を迎えようとしている、、、」で始まるこの物語、今の若い人たち、特にこれから社会人、仕事人として全盛期を迎えようとしている30代?40代の人達に是非観てもらいたい物語である。職場の若き同僚には半強制的に?「観ろ!」と言っている程中身の濃い小説である。この小説の映像化を頑なに拒んできた作者の熱い想いは一度でもこの小説を読めば容易に想像がつく。それ故番組の制作にあたっているスタッフの気の使いようは並大抵ではなく、先の「龍馬伝」など比較にもならない程である。余談であるが小生の祖父の名前は「池辺武夫」、まさに登場人物の「広瀬武夫」の名前を曾祖父がつけたそうで、小生の幼少時代はこの祖父から「広瀬中佐」の話は何度も何度も聞かされた思い出がある。小生の「武」という名もその祖父の一字をもらったわけで否応なしにこの小説に親近感を覚えるのかもしれない。
幕末から維新を迎えあっという間に西洋の列国と肩を並べるまでに「坂を駆け上った」日本人の素晴らしさ、「国」が形作られる過程でそれに関わった人々の資質、国対国の思惑が交差する「外交」、一国の舵を執る首相、一軍の指揮を執る司令官、、、今の時代にぴったりの教材である。ビルマ鉄道隊の大隊長をしていた祖父、分鉄時代「亀山天皇」と呼ばれていた父からリーダーとしての資質、人との結びつきの何たるかを教わってきたつもりであるが、不幸にもそういう環境になかった人々にはこの小説は何にも代えがたい教材になると確信する。その器量なく、性根のないリーダーのもとで働く多くの人々は反面教師として彼等を観るにとどまらず「坂の上の雲」を是非とも目指してほしいものである。

2010/11/16

この国の仕組みを変えるとき

大河ドラマ「龍馬伝」が今月末で完結する。激動の時代=国の仕組みが変わるというテーマが現在の日本の姿とマッチングし高視聴率を維持してきたのであろう。主役は存在感乏しく役不足であったが山内容堂、後藤象二郎、徳川慶喜など脇役陣はそれなりに役を演じ切った感があった。江戸から明治という劇的な歴史の変遷を見ていて今の日本もこれくらいのことをやらないと本当に世界の笑い物に、言い換えれば日本人が世界に誇る「日本人の魂」が日本人自らの手でかき消されてしまうのではないかと思ってしまう。延々と政権を維持してきた自民党の負の遺産を引き継いだ民主党は気の毒だともいえる。政権を支えるには未熟すぎたが野党に下野した自民党も日ごとにその低レベルさを暴露するばかりである。日本の、日本人の良さを崩壊させる原動力?となった小泉やそのブレーン、職場放棄をした元首相などはこれからの日本(政治)には必要のない人たちであるがその息子達のレベルの低さには期待など到底持てない。官僚の堕落ぶりも「仕分け作業」のお陰で多くの国民が知ることになった。政治家と官僚、国の舵取りをする彼らの組織、仕組みそのものを変えなければ日本国、日本人は「世界」に取り残されてしまう。
良識の府と言われる参議院は本当に必要なのか?政権与党の任期を固定しマニフェスト実現に腰を据えて取り組める仕組みはできないのか?「国民の総意」がとかく重要視される昨今、国民が首相を選ぶルールはどうか?与野党の立場を超えて若い人たちが結集すれば世論は必ず支持すると確信している。

2010/11/06

三格に欠ける政治家たち

小生が航海士の時代、大先輩の船長から度々聞かされた言葉に「リーダーたるもの三格を備えるべし」というのがある。三格とは「資格」「人格」「品格」のことであるが、このうち一番解かり易いのは「資格」であろう。「技量」と「器量」を持ち合わせた人間に与えられる言葉である。「人格」とは「教養」と「道徳」言い換えれば「理知」と「情緒」をバランスよく備えたことを指す。「品格」は観念的な価値観であり説明も難しいが一言でいえば「人間としての気高さ」である。せめて一国のリーダーたる首相や先生と呼ばれる議員さん達には是非備えてほしい資質である。今日の政治家たちが如何にお粗末かは小泉元首相が自らの言動で見事に我々庶民に教えてくれた。その息子のピエロ振りには多くの良識ある国民は失笑しているはずである。石原都知事親子もまったく同じであり息子の顔は画面に登場するたびに軽薄さが増してきている。その親が空恐ろしいことをインタビューで言っていた。尖閣諸島問題で現場のビデオが流出したことについて「大いに結構、、、、」と! これが元国会議員、現首長?
このビデオこそ日本政府にとって「切り札」であることは明白であり、これを公表しないからこそ幼稚な中国とこれから外交交渉が出来るのではないか?これを出されたら中国は引き際を失うはめになり紛争が長引くこと間違いなしである。国家機密=外交とはそういうこと位、政治家ならずとも理解している人は少なからずいるはずである。野党のノーテンキ先生方は連日テレビに登場し馬鹿さ加減を世間に曝け出しているが彼らを見ていると品格のかけらもなく、人格あやしく、資格すらない!と嘆かわしくなる。もっとも与党の先生方も似たようなものであるが、、、、。
政治家によらず我々の身の回りには三格何れも持ち合わせていない社長さんや知名人と呼ばれる人の何と多いことか!

2010/10/29

講演・講話・雑話

「大勢の人の前で話をする」ことに長けた人、例えば「コンサルタント」と言われるような人たちはある種「話のテクニック」を身につけている。時折大声を出したり、笑いを誘ったりしながら聴衆を飽きさせないような工夫をするのである。それでも上手・下手ははっきりしていて参加者が講演に聞き入る時もあればまったく興味を示さないこともある。話す側・聞く側にその気(心)があるかないかで意義ある時間か無駄な時間になるかが決まるものである。
小生が大勢の人の前で話をしたことが過去2回ある。最初は二十年以上前になるが、母校の大学に呼ばれ学生を前に話をしたときである。題目は「トロール事業の現状と展望」であったと思う。一等航海士をしていた頃でもあり世界の大陸棚漁場はほぼ経験していたこともあり気軽な気持ちで母校を訪ねた。学生さんの待つ教室に入って驚いたのは三分の一ほどが女子学生であったことである。自分達の時代は一学年に一人いるかいないかであった女子が卒業後十年足らずでこんなに様変わりしたのかと唖然とした。話を進めていくうちに彼らの行く末が心配になりネガティブな話をした記憶がある。最後の締めくくりの言葉は「よほど性根を入れて社会に飛び込んでいかないと務まりませんよ!」であった。
二度目は陸の河童になって間もない頃、このときは千人以上の聴衆がいたが、会場が階段状の客席になっていて壇上に立つと圧倒されるようなところであった。市会議員選挙の総決起集会(投票の前日)でいきなり挨拶を頼まれた。陸に上がって半年の間に知り合った市議さん故、話のネタもなく選挙とは無縁の環境でもあったし「話すことはなにもないなあ?」とボヤ?と来賓の話を聞いているうちに自分の番になった。自分の素姓を説明し、「それ故ここでいろいろ話をする資格もありません、先生とは半年足らずの付き合いでしかありませんが一つだけ自信を持って言えることは彼は決して悪いことをする人間ではありません!善人です!多くの人間と接してきた小生が唯一皆さんに伝えることができるのはこれだけです!」と。大爆笑と大きな拍手が同時に湧き起こった。隣の席にいた候補者先生の紅潮した嬉しそうな顔を見たとき「これでよかったのかも?」と責任を果たしたのだという無責任な判断をした思い出がある。
そして今回、三度目になる「講話」をすることになった。ある業界の勉強会に招かれて商工会議所の会議室で一時間話をしたのであるが、異業種の皆さんと知り合いになれる楽しみだけで講師を引き受けた。偉そうなテーマであったが題目はそっちのけで尖閣諸島問題に熱が入り大半はその手の話で終始してしまった。参加者には申し訳ないことをしたと反省しきりであるが、これを機にまた新しい友人ができる気配を感じ喜んでいる次第である。

2010/08/31

ちょっとイイ話

先日、我が社の前を流れる下水道の清掃工事が行われた時のことである。真夏の炎天下、真っ黒に日焼けした作業員の方々が分厚いコンクリートの蓋をバールでこじ開けては、腰の高さの溝に入りゴミ掃除をしていた。ヘドロはその会社の特殊なポンプ車が彼らの後を追いながら吸い取っていくのであるがその日は半端な暑さではなかった。作業の邪魔になるので会社の前の駐車場が使えず裏の駐車場に社員の車をとめていたが用事があって外に出た時、作業員の方たちが口をそろえて「ご迷惑をおかけします?」と挨拶をしてくれた。年の頃50歳?60歳くらいの年輩の方ばかりであったが皆さん真っ黒に日焼けした顔をほころばせ心からそう言ってくれた。汗と泥で真っ黒な顔、猛暑の中のキツイ作業中にも関わらず全員が心から「ご迷惑をおかけしています?」と!!
つい事務員さんに「おじさん達に冷たいお茶を出してあげて」と言ってしまうほど心を打たれた。ポンプ車に会社の名前が書かれていたがきっと素晴らしい社長さんなのだろうと確信した。
正規社員か臨時社員か知らないが常日頃の教育なくしてこのようなことはあり得ないとこの会社の社長さんに会ってみたくなった。 教育研修で聞いたまんまの事を社員に伝える社長さん達をよくみかけるがそんな輩に限って形だけ!「心」がないのである。これ見よがしに「見せるための掃除をする」奴、自分からは絶対挨拶をしようとしない奴、そんな輩に限って礼儀を強調する。猛暑の中の涼風を感じるひと時であった。

KEMの会

KEMとは九州・エコマテリアル研究会の略称である。会の趣旨は産学協同で環境問題に取り組んでゆこうというもので、メンバーは大学の先生方と中小企業の社長さんで構成されている。年に2回所を変え勉強会を開いてきた。今年は佐賀県三日月町にある「ティオテクノ」という会社の新築祝いを兼ねて当地で開催された。半年ほど前、会社を移転新築するので見に来てほしいと相談を受け当地に視察に行ったがその時は古びた農協の倉庫のような建物であったのが、すっかりリニューアルした会社は商談で訪れる外国人用に「日本間」まで用意されている素晴らしい社屋に変身していた。工場内の設備も電子顕微鏡が2台も設置されるなど目をみはるばかりであった。
今回は3社の新入会員の参加もあり非常に有意義な時間を過ごさせてもらった。座長を務めるY先生は三菱重工のOBで現在は長崎市内の大学の客員教授をされているが、傍らいろいろな環境問題に取り組んでいる方である。小生と同業の方も二人いるが皆さん環境問題に真剣に取り組んでおられるのには頭が下がる思いであった。
人との出会いとは本当に不思議なもので今回もびっくりするような出会いがあった。一人は彼のお兄さんが小生の船乗り時代、同じ会社、同じ海域で仕事をしていた人だということが分かり大いに話が盛り上がった。カナリヤ諸島「ラスパルマス」、カナダ「ハリファックス」などと懐かしい地名が頻繁に登場したりした。二人目は娘さんが長崎大学の水産学部卒業でしかも大分に勤務しているというこれまた奇遇!な話であった。その社長さんの会社は大村湾や有明海で異常発生している「アオアオサ」という海藻を木材のチップと混ぜ合わせ堆肥を作り製品化している。三人目はサッシの取付業者からサッシ屋さんになった方で今では息子さんに跡を継いでもらいご自身は機械の製作を手掛けている。前出のアオアオサの回収機の開発中でもある。そしてその方がメーカーさんと一番仲の良かった人物が小生のポン友というこれまた奇遇の出会い!というわけで何とも意義深い勉強会であった。
皆さんに感謝である!

2010/08/16

終戦記念日

今年も暑い暑い「終戦記念日」が終った。この時期、テレビ番組でドキュメントやドラマが連日放映されるがそのたびにさまざまな事を思い知らされてきた。日清・日露、日中から太平洋戦争へ、明治政府誕生から「近代日本」が形成されていく過程とダブらせながら「歴史」を捉えようとしてきたが何時も行きつく先は「個人」になってしまう。小生の友人の中には中国人、韓国人、ロシア人、アメリカ人、更には北朝鮮人の親友までいる。皆さん素晴らしい人たちであるが共通して言えることは昨今の「情けない日本人」より遥かに日本人らしさを持っていることである。空襲を受け焦土とかした日本の都市や町、65年の歳月を経ての今の姿、これを早い、遅いと捉えるかは別として一つ言えることは嘗ての日本人(戦時を生き残った人)は優秀であったということ!そしてその何倍もの優秀な日本人が戦争で命を落としたことも事実である。
戦後65年の変遷のスピードに比べ「人(日本人)」が変わっていくスピードは恐ろしいほど早い。つい最近まで国のリーダーだった連中が敵前逃亡にも似た醜態を演じたにもかかわらず平気でメディアのインタビューに答える姿は堕落した日本人の象徴そのものである。「日本人とはいったい何者?」と日本人としての誇りを持ってきた小生ですら考えることが多くなってきたきがする。
泰面鉄道建設のため軍属として開戦前から南方に渡った祖父、戦前戦後を通じ国鉄一筋に生きた父、鳥栖の陸軍病院の軍医として戦時を生きた義父、まぎれもなく誇れる日本人であったと確信できるほどのものを彼らは感じさせてくれた。
終戦を機に日本は見掛け上「戦争」とは無縁になったがアメリカはその後朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、更にはアフガンへと尊い命を犠牲にしながら直接「戦争」を継続してきている。正に大国のエゴの歴史であるが宗教戦争に至っては終わりがないのであるから深刻である。私信を捨てた強力なリーダーがどの国にもいないのが現実であり国の舵取りを任せられる真のリーダーが世界各国に現れない限り「平和」は訪れないと確信する。
日本人たらんとする者はもっと賢くなれと声を大にして言いたいのである。

2010/07/14

仰げば尊し我が師の恩

昭和41年、長崎大学に入学して1年目の春休み、カッターの合宿所に小生の7期先輩に当たるN先輩が真っ黒に日焼けした精悍な顔立ちで我々の前に現れた。母校を卒業後、当時花形だったマグロ船に乗船していたのを学校に呼ばれ教壇に立つことになったからである。その日こそ小生が生涯の師と仰ぐ恩師との最初の出会いであった。6年間の学生生活、21年間の船乗り時代、陸の河童になって19年、都合46年間の小生の人生はまさに恩師の教えに支えられての生き様と言ってよい。先生から多くのことを学んだが決して「人を諭す」「人に教える」と言った事とは無縁の先生であった。「亀さん、こうじゃなかとねえ?」「おいはこう思うばってん、どがんとね?」と言うような調子で何時も同じように話しかけてくれた。研究論文や博士号の勉強で忙しいにも関わらず毎晩のように先生宅に押し掛ける小生を嫌な顔一つせず相手をしてくれる先生でもあった。5年前大学を退官された時は先生にお世話になった教え子3人で退官祝いを!と長崎に集まってささやかな「ご苦労様会」を催した。大いに昔話に花が咲いたが二次会で「仰げば尊し我が師の恩、、、」を弟子3人で合唱した時はついつい涙がこぼれてしまった。
そして今年、先生が目出度く古希をむかえたの機会に弟子3人で話し合い雲仙に集まりささやかなお祝いをしようということになった。4人が顔をそろえるのは久しぶりのことであったが皆さん老いて盛ん?良い人生を歩んでいるなあと何とも心地よい時を過ごさせてもらった。雲仙地獄の硫黄の匂い、露天風呂から眺める雲仙の山々、時間のたつのも忘れ、語り、痛飲したが昔とちっとも変らない先生の姿と私より遥かに優秀な後輩2人と時間を共有できたことは嬉しい限りであった。先生から多くのことを学んだが小生にとって一番の宝は「人との接し方」「生きるとは何か」すなわち「物の真理を見極めることの意義」を教わったことだと確信している。船乗り時代、陸の河童時代、多くの人々と関わってきたが職場の同僚や友人知人がこんな小生を心から大切に付き合ってもらえるのは正に先生の教えが多少なりとも身に付いている証拠だと少しだけ自惚れさせてもらっている。人に恵まれた人生ほど楽しいことはない。若い人たちから小生の心の芯にあるものは何か?と問われた時、迷わず「人との繋がり」と答えてきたが、このことをこれから活躍する若い人たちが少しでも気にかけてくれることを願ってやまない。「物事の真理を見詰めよ」「全ては自分自身の中にある」ということを!

2010/05/25

びっくり仰天

昨夜のサッカー、敗戦後の岡田監督のインタビューを見て失笑してしまった。大戦の前の小競り合いに負けた大将が大殿様に次の大事な戦の指揮を執ってもよろししいでしょうか?と聞いたようなもので、最早指揮官としての資質そのものを疑ってしまう光景であった。漲る闘志、揺るがぬ気力は指揮官の備えるべき最低条件のはずである。如何に自分が解かっていないか?彼の虚ろな表情がワールド杯の成績を暗に教えてくれた一こまであった。昨夜の彼と同じ表情の人が連日ブラウン管に登場し「この人一体何を考えているの?」と失笑ならぬ失望を我々に与え続けている。鳩山首相その人であることは言うまでもない。小泉を皮切りに今日まで多くの総理が誕生しては消えていったが現政権も終焉を迎えよとしている。朝鮮半島有事の可能性が無きにしも非ずの近頃であるが「抑止力」のなんたるかを国民の多くが知るには絶好の世界情勢である。日本人があまりのも「国防」に無知な国民であることはこれまで幾度か言ってきたが当のリーダーがこれほど無知であったことに驚きよりも恐ろしささえ覚えるこの頃である。
もし、日本が韓国の立場であったらリーダーはどう対処するのだろうと考えてみたが領海・領空を侵犯されても「早く出て行って」と有耶無耶にしてきたことを思うと容易に想像がつくというものである。普天間問題は長きにわたり自民党政権が「何も進展させることができなかった」案件であるにも関わらずしゃーしゃーと他人事のように現政権を瀕する輩を見てると「政治家」の資質がよく理解できるきがする。社民党が連立を離脱すれば党は消滅、国民新党はあってないようなもの、小生の言い続けてきた多党政治が現実味を帯びてきた。小泉の息子が親の田舎芝居をそっくり真似てピエロのようにはしゃいでいる自民党に復権の力はもういかほども残っていないのであるから。
地方分権こそがこれからの日本を立ち直らせる唯一の道と確信するがそれを推し進めるリーダーが不在!なのが情けない。

2010/05/01

迷走する日本

政権交代で与党となった「民主党」であるが最早政権は危機的状況にある。一昔前の社会党が「何でも反対社会党」では維持できなくなったときに似ている。野党時代にもう少し政権与党としてのシュミレーションをしていればこうはならなかったであろうにと同情すら覚える。ツートップのリーダーシップの欠如が最大の要因であることは明白であるが国民の多くは自民党よりはマシと思っているのではなかろうか?一年ほど前、会社の同僚との会話の中で近い将来多党政治になるよと話したことが現実味を帯びてきた感がある。どの政党にも「リーダーたる資質」をもった人物が見当たらないからの発言であった。小泉・竹中が一気に日本をダメな国へと引きずり込んだあとは顔すら思い出せないくらいの資質に欠けたリーダーもどきが「ダメ日本」を加速させていった。小泉のような田舎芝居のパフォーマンスに踊らされる日本人が急増していった要因を作ったのはそれ以前の自民党政治である。その手助け?をしたのがおそまつなメディア、コメンテーター達である。昨今のテレビ番組が「お笑い」「クイズ」「料理」の三本柱では「本を読まなくなった若い世代」が「考える」「感じる」ことは益々廃れていくことは明白である。一昔前の日本、悪いものは悪いと学校でも家庭でも「叱る」教育をしてきたが今はどうか?学校で何かあるとすぐさま親がしゃしゃり出て文句を言う、、、学校はビビって何もできない、過保護な親に教育された子供たちがこれからの日本を支えていくのかと思うと空恐ろしくなる。
「教えるは学ぶの半ばなり」という言葉があるが若い世代の人々との付き合いの中でついついお説教じみた事を言う自分が見えるときこの言葉の真理をつくづく実感することができる。
悪い結果は全て人のせいにする馬鹿な人間をたくさん見てきたが先日の国会中継で民主党の閣僚が自民党の元閣僚の質問に「あなたがたのやってきた悪政のつけじゃないですか!」と言っていたが「それを言っちゃあお終いよ?」である。リーダーとしての資質のなさをこれほどはっきり理解できるのはテレビの良さではあるが、、。
5月末決着予定?の「普天間」問題は決着など到底不可能である。これを機に政権は大きく動くことは間違いない。