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2007/08/24

責任の取り方

コムスンが巷を騒がせている。あの会長の顔を見ていると塀の中に入った「村上某」「堀江某」を思い出す。同じ穴の狢とはよく言ったもの、あれ程の悪事を働きながら全く罪の意識がない。法に触れずに金儲けすることがどうして悪いの?と平然と言う彼らの姿に市場原理主義が世界中に蔓延していることを痛感する。組織に何の理念もないのであろう、そこで働く若者達も同じ様な人種なのかと思うとやりきれない。何もかもがアメリカナイズされ日本のみならず世界中が大きなウネリに飲み込まれようとしている。それにしても彼らの「責任」と言う事に対してあまりにもお粗末な対応を見ていると「日本人の誇り」と言ったものが確実に崩壊しているように思う。サムライが責任をとって腹を切ると言う武士道の背景には命を賭して事にあったうえでの責任の取り方が「切腹」であった。悪事を働き命を絶つしか道が無くなって、、、、これは「責任をとる」には当たらない。日銀の総裁や厚労相があれ程の背信行為をしていながら未だのうのうと現職に留まっている姿はもはや論外である。昔ニューヨーク沖でライバル会社のK水産のトロール船が沈没したとき真っ先に救命ボートに乗り移ったのが機関長だったと言う話を聞いたが同じ船乗りとして恥ずかしい気がしたものである。逆の話もあった。小生が二等航海士の頃、冬の道東沖で2万トン級の貨物船が時化のため沈没した。その時の船長は乗組員を退船させたのち船と運命を共にした。リーダーとしての責任の取り方とは何か?自分が船長時代は常に頭の何処かにそれがあった。乗組員の命を守り、彼らの家族の生活を背負い、会社の財産を任される「重み」、何を大切に指揮を執るかを明確に認識していれば結果(行動)は自ずとついてくるものである。「性根」が据わるとはリーダーの大切な要素だと確信する。