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2008/06/03

世渡り下手の生き方上手

「世渡り下手の生き方上手」最近小生の親友から贈られた賛辞?である。一方で以前悪友から「清濁併せ呑んで尚清波を漂わす」人である、、、と言われたことがあるがこれも賛辞として受け取ってきた。人から誉められるほどの人間でないことは自分が一番理解していることであるが、せっかく誉めていただいたのであるから素直に喜ぶことにしている。この単純さこそが唯一誉められる要素かもしれない気がするのであるが? 人が人を判断するのは相手の日頃の所作動作、生き様を右脳で感じ左脳で整理しその人の人物像を把握するものと思ってきた。中には左脳のみで人を評価する輩もいる。即ち「肩書き」最優先でしか人を判断できない人種である。こういう人たちに人間としての魅力を感じないのは単に小生が右脳派人間だからとは言えない気がする。先日弊社の社員研修の一環として若手社員を対象にした集会を開いた。テーマは「夢」であったが討論会の内容は「日々の仕事」に終始した。これはこれで仕事熱心さの表れだと善意に解釈したが最後におまけのように「夢」を語ってもらった。正直がっかりした。夢がなさ過ぎるのである。奇しくも翌日のTV番組で大学生と「中曽根」「不破」「土井」と言った古参議員とのディスカッションをやっていた。「将来の日本に夢を持てるか?」と言う質問に半数以上の学生が「NO」と答えるのを見て前夜の弊社員の顔が浮かんだ。学生ではなく若い社会人を対象にしていれば「YES」の回答のほうが多かったのでは?と思う反面、我社の社員の「夢」を聞く限りそうでもないのかあと寂しい気持ちになった。若い社員によく言う言葉であるが「自分の生き方に夢を持てる人間を目指せ!」と。生き方で自分を主張できる人間を目指せと。凛とし潔い生き方を目指せと。世の中には「反面教師」が多々存在していると言う利点?を最大限に活用して日々自己研鑽をして欲しいと願っているが笛吹けど踊らず、親の心子知らずでなかなか人は育たない。世の中のせい、人のせいにする技術?だけは格段に向上していると言うのが今の日本の姿である。若者よ大志を抱け!!