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2012/08/21

領有権(竹島)

竹島・尖閣諸島の領有権問題を論ずる前に小生が一番疑問に思っていることは政治家の資質・センスである。歴史的にも国際法上もこれほど歴然とした事実(両 方共日本の領土であること)を何故、国民にわかりやすく説明をしようとしないのか?マスコミも然りである。与党や野党、過激な右派(都知事のような)のコ メントのやりとりばかりを取り上げるのみで、この背景を詳しく国民に知ってもらうような番組をどの局もしようとしない。情けない話である。挙げ句の果てに 自民党のバカ議員達は平気で現政権を批判している。自分たちの長く続いた政権時代、何一つ解決せずすべてを先送りしてきたくせに、よくもまあシャアシャア と言えるものだと彼らのコメント聞くたびに失笑し寒心し呆れてします。さて、「竹島」であるが明治政府の時代に隠岐の島に編入されて以来日本の領土として 国際法上も認められてきた。第二次大戦の敗戦後、アメリカ(GHQ)によって沖縄・小笠原諸島などが日本の行政権から外されたときこの竹島もそれに含まれ ていた。これをいいことに韓国の初代大統領李承晩が一方的にリショウバンラインを宣言し竹島は韓国領と宣言したのである。この李承晩は後に失墜するが彼の おかげで多くの日本漁船員が不法に拿捕され抑留された。学生時代、東シナ海で操業する「手繰船」に乗船した経験があるが、乗組員のなかには抑留経験者が何 人かいて赤に染められていたのを思い出す。竹島は明らかに日本の領土であることを政府もメディアももっと国民に知らしめる必要がある。国際司法裁判所に提 訴しようとしてもそれに応じない韓国は本質的に不利なことを承知しているに他ならないことは明白である。戦後の賠償問題で莫大な保証金を韓国に支払い、国 や邦人の財産を放棄し償いをし、韓国もその条約に調印したにもかかわらず未だにウジウジ小言を言う彼らは「国民性」だけでは片付けられない「人間としての 誇り」といった「人としての資質」の差を感じざるを得ないのは小生だけではあるまい。

2012/08/20

領有権(国土)

領有権を巡る摩擦が日毎に緊迫の度を増して来た。これまで公の場で講話をしてきた中で「領有権」に関する話は必ず話題にしてきた。島国の日本国民は自国の 領土・領海・領空といったことに極めて疎いからである。尖閣諸島、竹島の領有権をめぐる話は後述するとして、おさらいをしておく。
領土とは海岸線で一番潮が引いた地点(最低低潮面)に囲まれた陸地を指す。領海(teritorie water)はその基線から外側12海里 (1852×12=22キロ)以内の海域。この海域はその国の主権が及ぶ海域である。但し外国船舶にも「無害通行権」と言う権利が与えられていて沿岸国の 法令を遵守すれば他国の領海の中でも航行できる。領海(12海里)の外側から12海里(基線から24海里)までを接続海域と言う。この海域はその国の通 関・財政・出入国管理・衛生について法令違反や違反処罰に対する規制ができる区域を指す。更に排他的経済水域(EEZ)と言って基線から200海里の海域 をその沿岸国に経済的な管轄権を与えている海域がある。経済的管轄権とは①天然資源の開発等による主権的な権利 ②人口島や構築物の設置の権利 ③海洋調 査の管轄権 ④海洋環境の保護・保全の管轄権である。これが制定されたおかげで日本の遠洋漁業は世界各地の大陸棚から締め出されたわけで、小生も志半ばに して「陸の河童」になったという点では被害者?である。以上のどの海域にも属さないのが「公海」=high seaと言い特定の国家の主権に属さない自由 に航行できる海域である。先般中国の活動家達が尖閣諸島上陸を企て公海から日本の接続海域に侵入してきた時点で海上保安庁の巡視船が警告を発したのであ る。にもかかわらず彼らは領海にまで入り込み挙げ句の果てには日本の領土である島に上陸してしまった。領有権を巡る紛争のない地域であったなら銃撃されて もおかしくない事件である。恥ずかしながら40年前、西アフリカ漁場で領海侵犯をして銃撃を受けた経験のある小生としてはあの緊迫感?を今でも覚えている ほど「領海」とは沿岸国にとっては大切な海域である。嘗て大韓航空機がソ連の領空を侵犯し撃墜されたことがあるが、相手が民間機と分かっていても撃墜をす るくらい領海・領空というものはその国の主権を命懸けで守る海域・空域なのである。その領海(領土も含めて)を日本は中国・韓国から侵犯されたのである。 それが尖閣諸島・竹島を巡る領有権問題である。

2012/08/13

ロンドン・オリンピック

ロンドン・オリンピックが閉幕した。4年前、北京オリンピックのタイトルで雑感を書き記して早4年!光陰矢のごとしである。国家・国民の品格といったもの をこれほど的確に、目の当たりにできるのはオリンピックの特徴?でもある。今回も中国・韓国の醜さは群を抜いていた。選手の品格のなさは国家の品格のなさ に起因する。武道からスポーツになってしまった「JUDO」、勝者の処構わず喜ぶ姿に「柔道」の本質はなくなってしまったと感じるのは小生だけではあるま い。今回最も酷かったのはバトミントンの無気力試合!これがスポーツの姿なのかと憤りを感じた。間違っても日本選手が同じ立場ならこのようなみっともない ことはしなかったであろうと確信する。似たような例に女子サッカーの「点を入れるな指示」をコメントした監督、戦略としては当然考えるべきことであり、戦 術面でとった控え選手の起用も然り、問題なのはそれをメディアの前で公然とコメントする監督の軽さにある。ほとぼりの冷めるまで、もしくは墓場まで秘密? を持っていくのが将の器というもの、あの「軽さ」が偶然銀メダルを取れたのにもかかわらず後味の悪さを残してしまった。お家芸の柔道が期待を裏切った原因 の大半は監督とコーチ陣にある。精神面の指導ができる人材の登用という面では協会の人事そのものに問題があるように感じた。
オリンピックとはそもそも何なのか?「参加することに意義がある」のであれば金だ銀だとメダルにこだわる姿勢はおかしいし、メダルがすべてであればそのレ ベル以下の選手をお金をかけてまで参加させる必要はない。「政治」を介入させない筈のオリンピックが国力を誇示し、国対国といった感覚で開催されている姿 にこれからのオリンピックは如何にあるべきか?じっくり考えてみる必要があるのではないか。少なくとも2020のオリンピック招致に立候補している日本は その道筋を立てて欲しいものである。