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2010/08/31

ちょっとイイ話

先日、我が社の前を流れる下水道の清掃工事が行われた時のことである。真夏の炎天下、真っ黒に日焼けした作業員の方々が分厚いコンクリートの蓋をバールでこじ開けては、腰の高さの溝に入りゴミ掃除をしていた。ヘドロはその会社の特殊なポンプ車が彼らの後を追いながら吸い取っていくのであるがその日は半端な暑さではなかった。作業の邪魔になるので会社の前の駐車場が使えず裏の駐車場に社員の車をとめていたが用事があって外に出た時、作業員の方たちが口をそろえて「ご迷惑をおかけします?」と挨拶をしてくれた。年の頃50歳?60歳くらいの年輩の方ばかりであったが皆さん真っ黒に日焼けした顔をほころばせ心からそう言ってくれた。汗と泥で真っ黒な顔、猛暑の中のキツイ作業中にも関わらず全員が心から「ご迷惑をおかけしています?」と!!
つい事務員さんに「おじさん達に冷たいお茶を出してあげて」と言ってしまうほど心を打たれた。ポンプ車に会社の名前が書かれていたがきっと素晴らしい社長さんなのだろうと確信した。
正規社員か臨時社員か知らないが常日頃の教育なくしてこのようなことはあり得ないとこの会社の社長さんに会ってみたくなった。 教育研修で聞いたまんまの事を社員に伝える社長さん達をよくみかけるがそんな輩に限って形だけ!「心」がないのである。これ見よがしに「見せるための掃除をする」奴、自分からは絶対挨拶をしようとしない奴、そんな輩に限って礼儀を強調する。猛暑の中の涼風を感じるひと時であった。

KEMの会

KEMとは九州・エコマテリアル研究会の略称である。会の趣旨は産学協同で環境問題に取り組んでゆこうというもので、メンバーは大学の先生方と中小企業の社長さんで構成されている。年に2回所を変え勉強会を開いてきた。今年は佐賀県三日月町にある「ティオテクノ」という会社の新築祝いを兼ねて当地で開催された。半年ほど前、会社を移転新築するので見に来てほしいと相談を受け当地に視察に行ったがその時は古びた農協の倉庫のような建物であったのが、すっかりリニューアルした会社は商談で訪れる外国人用に「日本間」まで用意されている素晴らしい社屋に変身していた。工場内の設備も電子顕微鏡が2台も設置されるなど目をみはるばかりであった。
今回は3社の新入会員の参加もあり非常に有意義な時間を過ごさせてもらった。座長を務めるY先生は三菱重工のOBで現在は長崎市内の大学の客員教授をされているが、傍らいろいろな環境問題に取り組んでいる方である。小生と同業の方も二人いるが皆さん環境問題に真剣に取り組んでおられるのには頭が下がる思いであった。
人との出会いとは本当に不思議なもので今回もびっくりするような出会いがあった。一人は彼のお兄さんが小生の船乗り時代、同じ会社、同じ海域で仕事をしていた人だということが分かり大いに話が盛り上がった。カナリヤ諸島「ラスパルマス」、カナダ「ハリファックス」などと懐かしい地名が頻繁に登場したりした。二人目は娘さんが長崎大学の水産学部卒業でしかも大分に勤務しているというこれまた奇遇!な話であった。その社長さんの会社は大村湾や有明海で異常発生している「アオアオサ」という海藻を木材のチップと混ぜ合わせ堆肥を作り製品化している。三人目はサッシの取付業者からサッシ屋さんになった方で今では息子さんに跡を継いでもらいご自身は機械の製作を手掛けている。前出のアオアオサの回収機の開発中でもある。そしてその方がメーカーさんと一番仲の良かった人物が小生のポン友というこれまた奇遇の出会い!というわけで何とも意義深い勉強会であった。
皆さんに感謝である!

2010/08/16

終戦記念日

今年も暑い暑い「終戦記念日」が終った。この時期、テレビ番組でドキュメントやドラマが連日放映されるがそのたびにさまざまな事を思い知らされてきた。日清・日露、日中から太平洋戦争へ、明治政府誕生から「近代日本」が形成されていく過程とダブらせながら「歴史」を捉えようとしてきたが何時も行きつく先は「個人」になってしまう。小生の友人の中には中国人、韓国人、ロシア人、アメリカ人、更には北朝鮮人の親友までいる。皆さん素晴らしい人たちであるが共通して言えることは昨今の「情けない日本人」より遥かに日本人らしさを持っていることである。空襲を受け焦土とかした日本の都市や町、65年の歳月を経ての今の姿、これを早い、遅いと捉えるかは別として一つ言えることは嘗ての日本人(戦時を生き残った人)は優秀であったということ!そしてその何倍もの優秀な日本人が戦争で命を落としたことも事実である。
戦後65年の変遷のスピードに比べ「人(日本人)」が変わっていくスピードは恐ろしいほど早い。つい最近まで国のリーダーだった連中が敵前逃亡にも似た醜態を演じたにもかかわらず平気でメディアのインタビューに答える姿は堕落した日本人の象徴そのものである。「日本人とはいったい何者?」と日本人としての誇りを持ってきた小生ですら考えることが多くなってきたきがする。
泰面鉄道建設のため軍属として開戦前から南方に渡った祖父、戦前戦後を通じ国鉄一筋に生きた父、鳥栖の陸軍病院の軍医として戦時を生きた義父、まぎれもなく誇れる日本人であったと確信できるほどのものを彼らは感じさせてくれた。
終戦を機に日本は見掛け上「戦争」とは無縁になったがアメリカはその後朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、更にはアフガンへと尊い命を犠牲にしながら直接「戦争」を継続してきている。正に大国のエゴの歴史であるが宗教戦争に至っては終わりがないのであるから深刻である。私信を捨てた強力なリーダーがどの国にもいないのが現実であり国の舵取りを任せられる真のリーダーが世界各国に現れない限り「平和」は訪れないと確信する。
日本人たらんとする者はもっと賢くなれと声を大にして言いたいのである。