ページ

2007/04/29

卆寿

先週末、義父の誕生祝いで上京した。満開の桜と都会の喧噪に違和感を覚えつつも絶えず変化し続ける大都会の様子をしっかり目に焼き付けてきた。ところでその義父であるがこの度目出度く「卒寿」を迎えた。長崎大学医学部を卒業後内科医を開業し65年、未だに現役の医者を続けている。老人の患者さんを相手に「まだまだ若いのだから、、、」と毎日の診療は勿論、動けない患者さんの所には自ら車を運転して往診もしている。この度の卒寿のお祝いに私の息子達がパソコンをプレゼントした。90歳と言う高齢になってなお新しい事にチャレンジする「意欲」にはただただ脱帽するばかりである。新聞は未だに英字新聞しか読まず、暇なときはクラシック音楽を楽しみ、週末は自分で愛車を運転して熱海の別荘まで出かける、、、何とも羨ましい人生を謳歌している。寡黙で気負い無く淡々と人生を送る姿は小生の目標とする生き方であるがとても足下にも及ばない。人生を長く生き、一事に精通した人には「哲学」がある。言葉では言い表せない経験則に基づいた「重み」を感じるのは、こういう人々に共通している。書物から得る知識、見聞きする知識も大切であるが「経験則」から養われ、身に付いた「哲学」には人を引きつける「何か」がある。
次は白寿の祝を是非とも!と約束して東京を後にした。小生も古希まで頑張らねばならなくなったなあと元気な義父の顔を思い浮かべながら眠りについた。

2007/04/06

ペナントレース開幕

いよいよセパ両リーグが開幕した。野球評論家?の不渡哲也がここ数試合から予想した両リーグの優勝チームはパリーグはソフトバンクホークス、セリーグは中日ドラゴンズ!最下位はパが楽天イーグルス、セは横浜ベイスターズで決まり。但し今年からセもプレーオフが導入されるため日本一となるとセはジャイアンツの可能性も出てくるがパはホークスでほぼ決まりとなる!が小生の予想である。選手の技量もさることながら開幕を迎えるまでのチーム補強と監督の采配技量で概ね予想は当たってきた。余程の新星が表れない限り投手力のあるチームが必ず優勝戦線に残ってくるのがプロ野球である。打撃ほど当てにならないものはない。他チームでは4番を任せられる選手をズラリと並べた野球をしてみたいと嘗てあの長島さんが仰っていたがこの人は野球を知っているのだろうか?と素朴な疑問が生じたものである。監督の采配は無論大切な要素ではあるが「人間性」もこの世界では成績に大きく影響する。嘗ては三原監督・仰木監督のような選手から慕われる名監督も居たが今は居ない。敢えて言うならばホークスの「王」監督?今のホークスは選手が一丸となって監督のために優勝しようと珍しく燃え上がっているのが印象的だ。3年前いきなりリーグ優勝を果たした原巨人、、あっという間に失速したが彼の采配(ベンチでの姿)を見る限り監督としての技量には首を傾げたくなる。ベイスターズの監督もそうであるがコーチ陣が「仲良しクラブ」では組織は成り立たない。名選手、名監督にあらずでコーチとしての才能を見定めきれない人に監督は務まらない、、、と言うのが小生の持論である。日本シリーズまでの半年、楽しみが増えた。

2007/04/04

国の崩壊

私の学生時代、遠洋航海で立ち寄った国々で「日本」は特別な国と言う印象をことさら強く感じ誇りに思った時期があった。何処に行っても「円」が通用し、人種差別の酷い国でも「日本人」は白人扱いだったし、ニューヨークの治安の悪さに比べれば日本は当に世界一治安の良い国であった。阪神大震災の時あのパニック状態の中でも信号を守る日本人を見て外国の記者が日本人のモラルの高さに驚嘆したと言う記事を見たことがあるが当に20年、30年前の日本は世界に誇る「良識」の国だったと思う。ところが昨今の「日本」はどうだりう?治安を守る警察が飲酒運転で捕まったり、犯罪を犯したり、教育の最前線の学校で働く教員が起こすお粗末な事件、国政を担う議員さんや官僚のあまりに低いモラル!「国柄の崩壊」に歯止めがかからないどころか拍車がかかっているというのが今の「日本」の姿ではないだろうか?。政治では小泉元首相のあの薄っぺらな発言、他の政党の議員を軽蔑したような答弁、「良識」を押さえ込んでしまう独断と偏見etcとても一国のリーダーとしての資質を持ち合わせた人物では無かったと確信している。スポーツでは亀田3兄弟とその父親のレベル。誇りと命を懸けて闘った相手に何の敬意すら表せないモラルの低さを見るにつけ「家庭教育」の崩壊も現実のものとなった感がある。経済に至ってはホリエモン・村上ファンドの事件が代表するような「日本の道徳」の崩壊、そして最も危惧するのはそれらを伝えるメディアのモラルである。国柄の崩壊に関するこれらのニュースを流すメディアが一度たりとも「犯人」がブラウン管に頻繁に登場する時批判的なコメントを流したのを聞いたことがないと言うことである。世論の流れを感じたコメンテーター達が平気で違ったコメントをしているのに気づいた人も多いのではないだろうか。一般国民レベルでは世の中は変えられないことを政治家も官僚も国民も概ね理解している。己を捨てて命を懸けて「国」を考え得るリーダーが居ないのである。実務を司る官僚に真のエリートがいないのである。いや居るのであろうが彼らが世に出る機会を潰している輩が未だに存在しているとしか思えない。この辺の「改革」こそ真っ先に取り組むべき改革のはずであることは明白である。地方自治体でもお粗末な事件が後を絶たない。あれほど旧態依然とした、地方自治を私物化出来る様な体質であるならその逆もできる筈である。我が身を省みず命を県政に捧げるようなリーダーのお手本になれるような人物が現れても良いのではと期待をする昨今である。

プロ野球の衰退

ベースボールの世界がシーズンオフになり俄にトレードやFAの話題がスポーツ紙を賑わしている。先週から行われている日米野球を見ていて大リーグも変わったなとの印象を持った。投手と打者の勝負で従来の大リーグでは見たことがないような勝負の場面が何度かあった。直球で打者を仕留めることが命と言うような大リーグの慣習?では必ず最後の決め球は直球(それが大リーガー投手のプライド)であり打者はそれに真っ向から強打していったものであるが今回の日米野球では「かわす」投球が何度もあったのには少々驚いた。野茂やイチローの様な変化球を決め球にしたり、セコセコしたヒットを狙う選手が大リーグで活躍しチームの勝利に貢献している以上アメリカ野球も変化してきたのだろうが日本のプロ野球と変わらない「ベースボール」には興味が半滅する。それだけ日米間の差が無くなってきたのかもしれないが、、、。それにしても彼らの年俸、契約金の多さにはどうしても首を傾げたくなる。それ程の価値が彼らにあるのか甚だ疑問であるし、何よりそれだけ「プロ野球」がファンに夢を与えるに足るプロスポーツなのか?球団が大赤字を打ってまで経営を続行するだけの宣伝効果があるのか?どうしても私には理解できない。長島や王が年俸交渉に一切クレームをつけなかったことは時代なのか?日本プロ野球の将来を憂うならファンが気楽に球場に足を運べるような工夫をどしどし実行すべきと思うのだが。観客席がガラガラの球場で年俸1億円の選手がプレーしている光景を選手本人、球団、ファンはどのように感じているのか当事者に聞いてみたくなる。話は変わるがフィギュアの安藤美樹が復活したのは楽しみである。オリンピック前の自信喪失?の彼女とは打って変わって自信と気迫が漲っていた彼女の演技には感心した。精神的な強さが備わった証拠であろうがこれからも益々成長し北京では荒川に続くスターになって欲しいものである。

リーダー不在

二回目の党首討論を見て失望した。先ずは新首相、前首相の病気に感染したように暴走(暴言?)する二人の大臣に歯止めをかけられない弱さを自ら暴露してしまった。対する野党党首の迫力のない質問にも大いに失望してしまった。日本には二大政党制と言うのは適していないのではとさえ思ってしまった討論会であった。賛否はさておき核保有に関する論議はもっと慎重に成されるべきではないだろうか?正直に本音を言う二人の政治家、そう言う意見もあってしかるべきであるが政府の要人ならもう少し慎重にやって欲しいものである。腹の奥に幾つもの顔を持つくらいの老齢さが全く見あたらない。その点中国の政治家達は強かである。日本でも戦国時代の武将の中には「人物」がたくさん登場する。大河ドラマ「巧妙が辻」もクライマックスを迎えようとしているが日本の政治家の皆さんも少しは「家康の手腕」を参考にしたらどうかと言う場面が多々ある。最も小生は家康嫌いではあるが、、、。国民がもっと政治に関心を持ち利口になれば必ず今の政治には「NO」と言う日が近々訪れることは間違いないと確信する。アメリカがそうであるように!日本の良さを再確認し、それを教育に反映させるようなシステムの構築こそ教育基本法の原点と思えるのであるがどうも今の世の中その逆方向へのスピードが加速しているようにみえてならない。先日出張で韓国を訪れたが社会的な問題は日本と余りにも酷似しているのに驚いた。韓国でも格差が急速に進行しつつある。経済格差(貧富の差)、教育格差(エリート階級への思考)は日本以上かもしれない。そんな中同行してくれた韓国人の社長(別府で免税店を経営)が紹介してくれた方々は日本人が失いつつある「情緒」を備えたとても愛すべき人達であったのが何故か無性に嬉しかった。

若いパパとママ

先日友人の娘さんの結婚式に参列した帰り基山のパーキングに立ち寄ったときのこと。駐車スペースに車を寄せサイドブレーキを踏んだとき目の前の空きスペースに一台の車が入って来ました。かなり年期の入ったその車から未だ小学校前らしい小さな二人の子供さんと若い両親が降りてきました。我々も同時に車を降りたのですが、そこで素晴らしい光景を目の当たりにしたのです。彼らの古びた乗用車の横に誰が捨てたのかポリ袋に包まれたゴミが二つ投げ捨てられていました。小さな子供さんがそれを避けて通り過ぎようとしたとき母親が「ゴミを拾いなさい~」と幼い子供に言ったのです!若いパパと子供が無造作に捨てられたゴミ袋を楽しそうに拾いながら少し離れたゴミスポットに歩いていきました。質素な服装、古びた車、、、そして幸福そうな4人の家族、何と素晴らしい家庭なんだろうと彼らの姿をみて心が和みました。我々夫婦も若い頃、5人の息子にそうしたことがあったなあと昔を懐かしみも出来ました。教育問題が騒がれる昨今、日本の良さは捨てたもんじゃない!こんな素晴らしい若い夫婦が居るではないかと!本当に嬉しくて仕方がありませんでした。反面公共の場に平気でゴミを捨てて立ち去る輩も居るのです。「企業は人なり」とよく言われますが「国も人なり」です! 日本人が最も世界に誇れる「情緒」「道徳」が雪崩のように崩れ去っていく昨今、政治はそれに輪をかけるようなことばかりをしてきました。小泉劇場はその典型です。そして後を継いだ現政府もちぐはぐな事ばかりが目立ちます。国の再生は政治から、まともなリーダーの出現を生きて見られるのか??? パーキングで見たあの家庭が幸せに暮らして欲しいなあとつくづく思っています!

リーダー

ブッシュ大統領のお粗末さに歩調を合わせるように安部内閣の大臣さん方も負けず劣らずのお粗末振りを披露しています。政府と政党がまったく違った生き物のようにあらぬ方向へと進んでいるようで、これもまた小泉政権の負の遺産なのでしょう。厚生大臣の想像を絶する?無神経さ、防衛大臣の軽率な言動、そしてこれらの不祥事を非難する古参の先生方等等これが今の日本の政治のレベルかと目を覆いたくなる昨今です。あれほど騒いで、血税を使い郵政民営化をごり押ししサッサと逃げた前首相の罪は計り知れない程大きいのだと何時か国民も気づく筈、ブッシュが合衆国大統領史上最悪の「人」であったと言われるように。これほど隙だらけの政府なのに、政権交代のチャンスなのに民主党もまた同じようなレベルの先生方が何も出来ずに後手後手?しているようでは日本の将来はお先真っ暗としか言いようがありません。人間の性として「傲慢さ」は誰しも大なり小なり持ち合わせているものです。常に謙虚に自分を見つめ、戒め、努力を怠らない人には「傲慢さ」は出てきません。権力を手に入れると往々にして傲慢さが表面に出てくるのが人の常です。「国」も同様で、「大国のエゴ」というやつです。国益と言う名の下にエゴとエゴがぶつかり合っているとしか思えないのが国連の安全保障理事会を見ていると良くわかります。国も会社も組織も全ては「リーダー」の資質で運命が決まります。高い理想、確固たる目標、強固な意志、そして他人の心を汲み取る器(人徳)、、、このような資質を持ち合わせた人に決して私心はなく己の全てを国や会社や組織に捧げる事が出きるのです。企業家の中にはこれに近い人が居るのに政治家にそういう人物が居ないのが不思議でしかたありません。素晴らしいリーダーの居る国民、立派なリーダーの居る会社の社員、全幅の信頼を寄せられるリーダーの居る組織の人々は幸せです。「リーダー」を誇りに思い「宝」と思っている国民・社員・人は「リーダー」からも「宝」と思われているのです!

沖縄

先日悪友3人と連れだって沖縄に旅した。目的はゴルフであったが前後の自由時間を利用して沖縄観光をした。今帰仁(なきじん)城趾、首里城、ひめゆりの塔と廻って最後に「海軍司令部壕」を訪れた。太平洋戦争中、日本国民が最も犠牲になった激戦の地であり映画や小説、ドキュメント番組などで何度となく見聞きしていたが、壕の中に入り背筋の寒くなる思いをした。鹿児島県・知覧の「特攻隊記念館」を訪れ、年若い特攻隊員の残した遺書に涙したのとは違った感覚に襲われた。2万人以上の国民(沖縄県民)が軍(国)のために献身的に闘ったわけで、そこに幾多の悲話が存在したことを思うと胸を詰まらせてしまった。昭和47年沖縄返還の年、沖縄県民の雇用政策の一環として小生の船にも幾人かの若者が乗船してきた。訛りの強い沖縄弁、のんびりした性格は船乗りには余り適しているとは言えなかったが先輩乗組員からよく叱られていた。酔うと「俺らは琉球王朝の末裔だ~」と言っては又皆んなから馬鹿にもされていた。当時、沖縄戦の現状をもう少し理解していれば彼らをかばってやれたかも、、と思ったほど沖縄県民の歴史には「戦争」なくして語れない犠牲が存在している。そんな中最も印象に残ったのは司令官太田少将が自決する直前、海軍次官宛てに送った文章である。軍人としての責務を全うし最後の最後まで戦の指揮を執った人物がこれほど冷静にこれほどのことを思い、綴ったのかと指揮官としては無論人間の器の大きさに感嘆した。多くの民間人(沖縄県民)が軍の作戦に献身的に協力してくれたこと、後世その犠牲に対し国として報いて欲しいと言う内容であるが、この遺言とも言えるメッセージが民間人への想いであったことは如何に悲壮な戦いであったかを物語ると共に司令官としての器量の大きさそのものと思った。これほど素晴らしい人物が幾人も居た日本、時代は変わったとは言え今の日本にこの様な人物は見あたらない。

東京マラソン

昨日の東京マラソン、時折テレビで見ながらさて何パーセントの人がこのイベントに賛成するのだろうか?との思いに駆られた。大都会の主要道路が長時間に渡って閉鎖され、困った人達も多々居たであろうにと小生はこのイベントに異議を唱えたくなった。そもそもは石原都知事の言動に違和感を感じていたところから始まるのであるが、、、。地方自治、国政のリーダーは庶民?の出身者が望ましいと近頃思うようになった。高級料亭での官官接待一つ取っても、とても庶民は理解できない行動であるが何の疑問もなくそれをやってのけるリーダーが「格差」の実体をどれ程の認識で把握しているのか甚だ疑問である。
真摯に!本気で!国政、県政に取り組もうとすれば担当部署の責任者と四六時中顔をつきあわせ説明を聞き議論し方向性を確認しあうと言うような作業をやらねばならない筈で何日に一回しか登庁しないようなリーダーはリーダーたる資格がないのでは?と思ってしまう。3万人近い市民ランナーが歩きながらゴールにたどり着き、ボランティアの人々に「有り難う!」と声をかけている姿が放映されていたが、このイベントのお陰で迷惑を被った人々にも声を大にして「ご迷惑をおかけしました、有り難う!」と言って欲しいなあとついつい思ってしまった。我が県でもJリーグに参加できるチームを創ろうとサッカー大好き人間が立ち上がったことがあったがこれに県も市も賛同?し遂にはJ1への切符を手に入れた。大借金を抱えることになったドーム、大赤字のチーム、血税をこれらに投入することにスポーツファンですら異議を唱える人は多々居るはずである。それほど巨額な資金を費やすなら他の選択肢もあったはずであるが?100%賛同を得られることなど100%あり得ないが大切な事前の「討議」が蔑ろにされているのが昨今の政治に顕著に表れている。そしてそれが世の風潮ともなっているのではないか?議論は「判断」の材料であり、それを参考に「決断」を下す、これが真のリーダーたる所以ではなかろうか?