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2010/08/16

終戦記念日

今年も暑い暑い「終戦記念日」が終った。この時期、テレビ番組でドキュメントやドラマが連日放映されるがそのたびにさまざまな事を思い知らされてきた。日清・日露、日中から太平洋戦争へ、明治政府誕生から「近代日本」が形成されていく過程とダブらせながら「歴史」を捉えようとしてきたが何時も行きつく先は「個人」になってしまう。小生の友人の中には中国人、韓国人、ロシア人、アメリカ人、更には北朝鮮人の親友までいる。皆さん素晴らしい人たちであるが共通して言えることは昨今の「情けない日本人」より遥かに日本人らしさを持っていることである。空襲を受け焦土とかした日本の都市や町、65年の歳月を経ての今の姿、これを早い、遅いと捉えるかは別として一つ言えることは嘗ての日本人(戦時を生き残った人)は優秀であったということ!そしてその何倍もの優秀な日本人が戦争で命を落としたことも事実である。
戦後65年の変遷のスピードに比べ「人(日本人)」が変わっていくスピードは恐ろしいほど早い。つい最近まで国のリーダーだった連中が敵前逃亡にも似た醜態を演じたにもかかわらず平気でメディアのインタビューに答える姿は堕落した日本人の象徴そのものである。「日本人とはいったい何者?」と日本人としての誇りを持ってきた小生ですら考えることが多くなってきたきがする。
泰面鉄道建設のため軍属として開戦前から南方に渡った祖父、戦前戦後を通じ国鉄一筋に生きた父、鳥栖の陸軍病院の軍医として戦時を生きた義父、まぎれもなく誇れる日本人であったと確信できるほどのものを彼らは感じさせてくれた。
終戦を機に日本は見掛け上「戦争」とは無縁になったがアメリカはその後朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、更にはアフガンへと尊い命を犠牲にしながら直接「戦争」を継続してきている。正に大国のエゴの歴史であるが宗教戦争に至っては終わりがないのであるから深刻である。私信を捨てた強力なリーダーがどの国にもいないのが現実であり国の舵取りを任せられる真のリーダーが世界各国に現れない限り「平和」は訪れないと確信する。
日本人たらんとする者はもっと賢くなれと声を大にして言いたいのである。