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2018/03/05

人の器とは

レスリングの世界が騒がしい。セクハラ、パワハラと連日TVが放映し辟易してる。この事件の本質は「人の器」、栄と言う嘗ては素晴らし指導者であったかも知れない人間の「器」であることは協会が調査をしなくても実に簡単明白である。協会自体、このことは百も承知二百も合点!であろう。器の小さい人間にありがちな「俺が俺が」がまかり通るこの協会の資質にも問題がある。「選手を強くしたい一心で、、、」などと言うコメントを何度も聞いたが本質は「選手を強くしたのは俺!」と言う本音(その人間の本質)が見え見えなのである。器の小さい人間がある程度の実績を作り、協会は彼の言うことに忖度をし見て見ぬふりをする、、、それだけの事件である。大切なことはこのお粗末な事件を契機に旧態依然とした組織を如何に改革するかである。「器」と言えば今の政治屋たちにも当てはまる連中がわんさか居る!嫁さん一人コントロール?できず今のポジションにしがみつく哀れなリーダー然り、それを取り巻く面々の何とお粗末なことか、与党も野党も同罪(人罪)である。野党のお粗末さはどの時代も似たようなものであるが政権与党の先生方、今のツマラナイ官邸、政権の中枢にしがみつく政治屋に「NO!」を突き付けるだけの「器」を持った人間は皆無なのであろう。これでは日本の政治はおろか経済さえもこの先「ジリ貧」が続くのは容易に想像できる。アメリカも同じレベル、尻尾を振り振り言いなりになっていては近い将来トランプが失脚した後とんでもない代償を強いられることになる。人は何を大切に人生を生きるか?育った環境で千差万別は致し方ないがせめてせめて政治家を目指す人間には己を捨ててでも人のため、万人のために「尽くす」心を持ち合わせた人間になってほしいものである。それが「人の器」と言うものである。